2021年の過ごしかた

令和3年の2021年が始まった。数秘を少しでも学んだ方なら、単数変換をご存知だろう。バラして足して最終的に1桁にしていく。2021年は2+0+2+1=5だ。5の年。禅数秘では西暦を意味する2021年が通用するのは地球との認識で「グローバルナンバー」と呼んでいる。西暦を使用する国なら誰でも通じる力だ。あなたが「5」をもっているなら、この1年は備えもつ5の力は長所として発揮される。もし、5を持っていなかったとしても、この1年は「5」の舞台によってあなたのもつ数字たちが影響されていく。どのように意識づけるかを禅数秘的観点でまとめてみた。東京五輪の5とも重なり歴史的オリンピックイヤーとなるのかも着目している。

5つのC

 Change  Challenge  Chance  Courage Connect いずれも5にふさわしいあり方だ。変えていくこと、挑んでみること、チャンスに変えていくこと 勇気あること つながっていくこと。昨年のコロナ禍は、4の閉塞感に苛まれされた方もいたであろう。移動ができない。集まれない。大声が出せない。触れられない。近しい距離で飲食できない。学校は制限され、冠婚葬祭は延期か縮小。観光はこの先どうなるのか? 終息は? といったことを考えない日はなかったくらいに世界中が恐怖とともに緊張感をもった。今年になって、経済活動の両立の面で、対処の仕方の知恵が各業界で出されている。変えざるを得ずに変わる面もあれば、今までを見直し、主体的変化に転じるチャンスに置き換える人もいる。これまでのやり方やあり方を根本的に変革しようとする時、5つのCに通じてくるものを観じとってみよう。

“恐れ”とともに

2021の単数変換で「5」。昨年2020の「4」にプラス1ときいて思い浮かぶものは? 昨年は世界中で、4のシンボル=空間の課題と密であり、不要不急で安全・安心を確保する「4」そのものだった。空間での三密を避け、ウチで過ごそう・自宅・自粛に時短制限。外に出る時間は極力減り、テレワーク化 一定期間の制限のもと、職種によっては先行きの見えない停滞感や閉塞感で苦しみ、思うように進められない歯がゆさを感じた方もいらしたのでは? 2021年2月の段階でも第3波のおさまる気配はまだ見えないいっぽうで、経済活動の継続と進展をどうしていくか? この点が改善改良の数字「5」の意味するものに思えてこないだろうか?

“恐れ”とともに

それぞれに対策を講じた上でどのように日常を回復もしくは改めていくのか? という点で4の安全を確保しながら、どんな風に1の生成力を加えていくのか? その知恵づくりと実行に挑むことかもしれない。変異も含めた新型コロナウィルスに限った話でなく、これまで、または今現在に抱えている不安とどうつきあっていくのか? どう折り合いをつけて共存していけそうなのか? というメンタル面での気づきが先行して促されてくる。怖がってばかりもいられず、これまでの逆戻りを懐古するのでなく、生き方や生活様式 仕事の仕方や楽しみ方を刷新していくには、昨年気づいた心理での課題と無関係でなく、いかに、“攻めの改良/改善/改革”を推し進めるか?という「勇気」を学ぶ年として受け止めてはどうだろう?
  

一行三昧

パーソナルイヤーナンバー 個人年数秘が「5」の年の方はそのまま5のパワーと共存する年。また、5以外の数字の方も5のパワーを意識されると、よりご自身の今年の数字の意味するところが5の力を借りながら、日常が織り成されていくことに、リアリティが感じ取られてくる。今年のあなたの数字に5のテイストを加えてみよう。通常は「5」を読むと、自由・変化・冒険がキーワードで出てくる。やる/やらないという選択となったら「やる」を選んで転機にしていく挑戦も学びのひとつだ。画面や文字といった情報だけで、アタマで分かったつもりになるのでなく、五感の体感覚で知覚し、自らに変化を与えて気づいていく「行動」が5の真骨頂なのだから。
 そこで、よくやるのは、興味のあるものに片っ端から手を出してしまう衝動的行動だ。とくに5を持つ方は、「●●したく」なる。それ自体は、アクティビティが高い訳だが、果たして、“身についている”のだろうか? “身についている”とは、考えなくてもできるようになっていること。運転やスポーツや楽器のパフォーマンスのように瞬間瞬間に言葉を介さない動きだ。これまで5の方をあまたみてきて思うのだが。多種を学んだ人ほど学びが浅い。ひとつとしてモノになっていない衝撃の事実! ただし、ひと握りの「5の成熟人」は学んだものを提供できるクオリティまで昇華している。その姿はとてもパワフルで人を惹きつけていく!
中途半端な5と影響力をもつ5のその違いとは?

一定期間(3年以上)ひとつのことをやり続けたかどうかの違い。言い換えれば、ひとつのことができないで、様々なことができるのだろうか?5のパワーを意識した時に散漫癖に気づいたらひとつに集中すること。禅語であらわすなら一行三昧 (いちぎょうざんまい) 一つのことに邁進することです。だから何に集中するのかまずは対象を定めていこう。
    

5らしい動き方(マインドフルネスとマインドレスネス)

 「読んでいるうちに「5」をすごく意識するようになりました」系のメッセージやコメントを多々いただく。今年の個人的な数字が「5」の方は5のパワーが重なることがよく分かっているから、早速動き出している方も。(5をもっていなくとも、今年は5のパワーは誰にも訪れる)。どんな風に動くのが5らしいのかというと・・ “双方向” 平たく言えばLIVEだ。LIVEときくとドームやハウスやクラブを思い浮かべるかもしれないが、この状況ではさすがに密の場に足が向かない。オンラインのライブ配信!? 実は、上記の方でやっている人はやっている。世の中全体でpdf→動画の時代に入っている。しかしながら、ライブ配信は、話すのに加えてコメントにも応じていくので、ハードルは、跳ね上がる! 収録してから配信するやり方もある←と書くだけで腰がひけてしまう。ところが5はこの双方向をやってのけてしまう。

そこまでいかないまでも心がけたいのは「LIVE感のあるコミュニケーション」だ。LIVE感のあるコミュニケーションは相手との間合いが取れた一体感のある関わり=双方向が生命線。相手が一人でも、複数でも。では間合いはどのように取るのだろう?

 「一人でしゃべりすぎている!」

  ↑ そこに気づく

 「聴けていない」 ← 話遮ってる。相手の話の途中で話し始める。被せてる 
  
  ↑ そこに気づく

 
   「反応していない」 ←  目を合わせない。聴いたふりしてスルーしてる。ポイントずらしてごまかす。

  ↑ そこに気づく

 
 ということは、聴く時は聴きに入り、話し終えるのを待ち、応じる時にははぐらかさず、誠実に応じていく。伝える時は伝える。話を散らかさずに(散らかしても)戻ってくる。意識を行為そのものに置いていくマインドフルネスを丁寧に注意深くしていくことで、間合いの取れたコミュニケーションが取れて健全な密度が生まれてくる。地味なようだが、案外こういうところが疎かだと、身口意の三密はバラバラとなり、マインドレスネスが蓄積していくと、信も真も抜け落ち、自身とも大切な人との心は離れていく。双方向が取れている=三密一致を心がけていくと、来年の6に花開いてくる。6はずばり愛の年 結婚/恋愛/パートナーがテーマの方も、これまでとこれからの人間関係そのものを見直していきたい方も、今年の過ごし方の重要度がお分かりだと思う。間合いを取るには、禅の呼吸になじむのもひとつ。禅の呼吸で、頭からハートに力点が舞い戻り、〜自分との間合い〜が取れてくる。そのサインは、心の声を聴き届けているかどうか? 外の情報(人の言説)に過敏な人ほど、内側に疎いもの。相手の出方ばかりを気にしすぎるとご自分の望みが見えなる。自分との間合いも気にかけていくこと。だからと言って過剰に自分にこだわりすぎていると、殻のなかで気持ちよくなっているだけ。 I love me 状態だ。外から見ると、とても幼くオールドにみえる。なぜなら、過去をリピートしているだけだから。「でも〜」という言葉が口癖の「でもでもちゃん」は要注意。だいぶお子ちゃま言語が残存している。言いそうになったら、気にするのは間合いであることを再認識しよう。

「声と新たにつきあう」

 感 本指 臓六腑 というように五と身体とは密接だ。今年について着目するのは「声」 第チャクラの喉とリンクしてくる。コミュニケーションの主役であり、楽曲にも映画にも舞台にも芸術でも生命そのものの存在。坐禅の無音タイムに通じると、有声の素晴らしさと可能性を感じられてくる。無から有は生まれ、無あって有が生き、有があって無が生きてくる。Gのエリア拡大も今年はいよいよ本格化しそう。声のSNS Clubhouseも登場してきた。そして何より、動画にも音声にも声は欠かせない。すでに発信をされている方も、これから、活動域を広げてみようという方も授かったあなたの声と新たにつきあっていくのは誰にも通じるテーマになってくる。


 ワクチンが出回り始めたとはいえ、引き続き警戒と対策は必要だ。春なのにダイレクトに声をきき合う機会も減ってくるかもしれない。声の可能性を広げてゆくチャンス、何か思いあたりそうだろうか? 坐禅(深い呼吸)に親しんでいると通る声が出るようになる。楽器である上半身が響いているから。声との付き合いを深めるとあなたの声はあなただけの声ではないことに気がついてくる。DNAとこれまでの出会いと生き方が集約されているからだ。どんな声を発してきたか? さらには、声は何からできているのか? どんな声色を周囲に奏でているか?意識すればするほど声を愛でたくなってこないだろうか? 大袈裟でなくれまでの人生を自己承認していくことだからだ。声を愛でれば愛でるほど声は愛されていく。森羅万象が、あなたの声に詰まっていることに気がついてくる。「私の声好きじゃない」と言う方は、私の声でなくて、結晶体としての声だと再認識することで、声色の感じ方に幅と奥行きが生まれてこないだろうか?人から声が好きと言われているのに自分で声を認めないことは、授かりものを否定することになる。ここまで広げてみると声と新しくつきあっていく意味深さも5らしい過ごし方に思えてくる。「声素敵ですね!」と言われた方は、調子に乗って声を届けてみるのも一つ。メッセージにVOICEファイルをつけてみるのは始めやすい。

「自在」を生きる

5のど真ん中のテーマは「自由」。今では当たり前に自由を謳歌できる時代(自由すぎて不自由に感じる方もいるぐらい )。ちょっと前に遡れると日本は封建社会があり、ヨーロッパには王や貴族、聖職者による支配社会。さらにさかのぼれば奴隷制度。インドにはカーストヴァルナ。人種差別なども考えると、先立つ不自由さがあってからの解放=自由だった。

そしてこれは極めて欧米的な“自由”の意味。現代だとどうだろう?社畜と言われる言葉には被支配感も感じられる。パートナーシップに威圧感や束縛を感じたり、お財布を管理下におかれていたり、地方だと同調圧力、仕事でも家でもハラスメントまがいとあっては自由は感じにくい。身近なところでは「予定に支配されている」と思う人もいるだろう。いずれも“外側に感じているもの” だ。禅数秘講座の5のレクチャーで、「もともと自由とは仏教語」であることを話すと驚かれる方も少なくない。原意は、自らの意思に由る←よる。すなわち、自らの意思に根拠を置く。外側からの解放でなく内側で自在にあることだ。(ちなみに「自在」も仏教語)外側の状況がどうであれ内側の状態は意思次第。『般若心経』冒頭にもある観自在という言葉にのなかには、あなたの心ひとつで自在に観る(みる)姿勢を推奨しています。もともと人間は諸行無常的に変わっていく存在だからだ。

宣言下の不自由さを簡単に外付けの理由にしていないだろうか? 時間がお金が労力が、忙しいから、みんなが、ふつうは、世間体がと、状況被支配を言い続けて自由と言えるだろうか? 心に自由を与えていくのか? もしくは、心のノイズに従ってしまうのか? 自家製の考慮に支配されているのでは、内側をわざわざ不自由にしていることにほかならない。おそらくそのほうが居心地が良い場合があるから(そうしておきたい)。変わらないリスクを追わない安定も得られる。ここで5に学んでみよう。あなたの身体の無意識層から「●●したがっている」欲求の声を感じたら自由を与えどきであるということ。後ろで魂の声が叫んでいるから。身体からの声を聴き届けていくことは、本能的快楽的に感じるかもしれないが、禅数秘の解釈ではプリミティブなようで智的な選択。考慮の強さを感じたら、考えすぎていないか? 難しくしていないか? 正当化や保守にかたよりすぎていないか? 人のいうことを聞きすぎていないか? 自身で自在であるかと問いかけて答えていくことで外側から内側への自由自在の回路が開かれてくる!

  

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