「一日なさざれば、1日食らわず」と「働かざる者食うべからず」の違い


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【バックナンバー2013.02.15】

 

800年頃の中国(日本は平安時代、空海が中国に留学していた頃です)

ある道場での師の話。

 
ある日、山の木の手入れをするのに、
道場総出で、はたらきに出る日がありました。
師は齢を重ねて80歳。
弟子たちは師のからだを気遣い、
「私たちでやりますから、師は休んでて下さい」と願い出ましたが、

 

師は「そうはいかぬ」と率先して出てきます。

 

この行動を予期していた弟子たちは、
師がはたらけないように道具を隠してしまいます。

師はその日、
休むことになりましたが、食事をとりませんでした。

「なぜ、食事をなさいませんか?」
「働かぬということは、その日を成していない。
だから、食べないのだ」

1日のみならず、3日たっても師は食事をとりませんでした。

 

聞いたことがおありの言葉かと思います。

 「一日なさざれば、1日食らわず」・・・百丈壊海(ひゃくじょうえかい)

 

禅生活というのは、坐っている時だけが禅でなく、
掃除も食事も入浴も、勤めも学びも、行いのすべてを禅とみなします。
仕込みも、こうして便りを書くのも^^
私たちに置き換えるなら、雑用は存在しませんよね?

 

それは、私たちの観念の産物なのだから。
どんな用事であっても、わずかやほのかさといった
細やかさのなかに、特別の価値を広げていくのが禅行です。

 

瞑想しているときだけが瞑想でなく、
生活そのものが既に瞑想のただなかにあり、
逐一気がつかないながら、つねに天地の働きとともにあります。

 

切っても切れないはたらきのなかに、
生かさせてもらってる(←ちょっと説教くさいか。。)
おおいなるはたらきに支えられての、
わが1日のはたらきを成さないままに、
食事だけいただくことは、
掟に反することになると、
師は答えているのでした。

 

身体あってなさぬこともなさないまま、
いただけるものだけいただくのでは、
息を吸ってばかりで吐かないのと同じですね。

 

天地さまに申し訳がたたぬという
(日本人的な)摂理への義とも思えてきます。
百丈は、禅に基づく生活の決まり事を細かく定めた方です。
みずからの誓いに照らし合わせて、喉を通すことができなかったのでしょう。

 

禁止令的な「働かざる者食うべからず」

↑と・・微妙に異なる “禅のこころ” は、
感じとっていただけましたでしょうか?^^

 

静寂も禅なら、
アクティブも禅。

 

江戸時代の白隠禅師は、
動中の工夫、静中に勝ること百千億倍」と言い切り、
坐る行為を原点とし、かかわりのなかでの無限の創意工夫を重視しました。
現代の禅者、S・ジョブズは、まさに静から動へとかたちにした実践者でしょう。
坐る静が親なら、動の行為が子どもといったところでしょうか。
あなたに休むことなく大切にはたらきかけてくれている

「支え」とともに今宵もありますように。

 

おおいに1日を成されましたら、
おおいに召し上がれ^^!!

 

志事あとの、一杯のドリンクの味わいのなかに
あなたの全人生の1日が、今日もあふれていることを願っています。

 

「天父は常に働きたもう、ゆえにまた子もはたらくなり」『新訳聖書』

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曹洞宗一等教師。宗教学修士。国際メンターシップ協会認定メンター。人生という旅を禅の力でたなおろし、根こそぎ生き直す「つきぬけ禅」を普及しています。禅数秘学の師としても、博多、大阪、東京、仙台、名古屋を巡業中!

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