『19歳で大長老から教わった呼吸法』
- 2016年03月04日 |
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母の妹がスリランカ人と
結婚していることから、
スリランカ叔父の強い薦めで、
上京時分から
ウエサク祭という仏祭に顔を出していました。
ヴィーサーカ祭とも表記しますけれど、
誕生と、悟りと、涅槃(身体他界)を記念する日
日本では京都鞍馬寺のウエサク祭が
ひじょうによく知られています。
祭をとりしきるのは、
「アラカン」と呼ばれるミャンマーの長老
※アカラン=60歳前後の方
・・・じゃあござりません!!!
「菩薩」も含む
修行者の最高位です。
日本ではほとんど関西で暮らしていたことから、
彼の日本語は関西弁 笑
(突っ込みもうまかった)
一日一食(午前のみ)の戒律を厳格にまもり
オレンジ色の袈裟をまとって、当時80歳ながら、
オレンジジュースを飲む姿が可愛らしかったです。
当時最高に感動したのは
長老の記憶力がすさまじく
頭脳も明晰だったので、
その秘訣をきいてみたら
呼吸法にあることを教えてくれました。
“三拍子で呼吸するアルよ
「いち・に」 で 吸う
「さん」 で 吐く~
そのときに
いち・に と心で数えたら
【さん】で
「今していること」に意識をおくアルよ。
いち・に → グラスをもつ
いち・に → のむ
いち・に → グラスをコースターに置く
いち・に → 本を手に取る
いち・に → 本を読む
いち・に → 本を机に置く
▼この三拍子は一種のヴィパッサナー瞑想で
意識化していないことを意識化する だけです。
ゆったりと過ごせる時間のあるときに
最初は始めてみてください。
過密な時も落ち着いていられます ^^☆
行為と意識を一致させるだけなのですが、
得てして私たちは、瞬間瞬間、行為と意識とは
不一致になってしまいがち。
行為はたしかにしていも、
こころがここにあらずだと
何をしていてもうわの空
「あれどこいったっけ?」
「これどこやったっけ?」
忘れモノが増えてきたら
“不一致サイン”です^^
その癖が習慣となると
“とくに大切なこと”に関して
言ったことも忘れ、
言われたことも忘れ
目の前に人がいるのに
聴く姿勢がとれなかったり
いるのにいないようなフワフワ感覚が訪れると
主人公不在時間が増えて人生がさびしがります。
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意識を行為の上に置いてあげる
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微細な違いを念入りに確かめる。
ちょこっと置いたモノに意識を配る。
やりとりすることばの意思を感じてみる。
などなどなど
ダダモレせずに、集中に包まれて
時間空間が、キュっと引き締まってくるのを感じたら、
丁寧に生きるって実感と思っていいんじゃないかな?
「直心是道場」 ~じきしんこれどうじょう~
まっすぐなこころをもってするなら
道場でないところはありません。
すなわち
そこがあなたの劇場なのです。
すきまにねじ込むように
器用に同時にいろいろこなすもいいけれど
淡々とひとつをおえてから、
またひとつを終えていく
あなたがもし、
時間の身になったとしたら、
どんなふうに時を刻んだら
あなたの時間は喜ぶでしょうね?