「イエス」しかいない永平寺
- 2016年03月16日 |
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このブログを読んでいただいているのは、
9割が女性のため、
永平寺のことば使いを
そのまま書くと、、、
とくにテキストでは
「こわすぎ」なので ( ̄∇ ̄+)
多少(だいぶ)デフォルメって書きますが、
ある程度のリアリティも伝えます。微妙ダ。。。)
((「そのまま読みたい」という方もいるんだろうな))
ま、それは講座で^^
永平寺に入る前日は、
すぐ近くにあるお寺で
「明日永平寺に入るための準備」のため
1泊します。
「○月○日に来るように!」
と事前にお達しが来るんです。
で、福井県の永平寺町にいきますと、
到着した順に
「番号で」呼ばれます。
病院や銀行の整理券のように
「○○番をおもちの○○さーん」でなく
「番号」だけです。
私は、父母と優雅にランチをしてから
(気持ちは最後の晩餐でしたけど(-_-)
夕方について8番目
受け入れは1日10人なので、最後から3番目です。
だから、
寺澤さんとは呼ばれずに
「8番」と呼ばれました。
えぇ、人間感ないですよ。
最初から、
ド高圧的な古参連中に囲まれます。
「永平寺にあがるのは一生に一度だからな、
身なりをしっかりととのえるのように、
1回だけ教えるから集中してきけ!」
(むりだっつーの)←言おうもんなら、
鉄拳飛んできそうな空気感ヒェー!
一度、(ほぼぜんぶ)脱ぐことになり、
着物や衣の着方を指使いから教わり、
やっと着られたと思うと
すぐさま
今度はまたぜんぶ脱いで
(脱ぎ方も教わりますってば!)
「たたみかたを1回だけ教える」と
アっという間に夜は更け、
怒鳴られっぱなしで泣き出す者もいました。
「おせーんだよ2番!」
「はやくしろ4番!」
「帰るか6番?」
「おつむ弱いぞ9番!」
同じ日に
あがったものはみな
おそらく人生で初めて
番号だけで呼ばれて、
シャバの肩書まるごと身ぐるみ脱がされました。
なかには、愛知県の小学校の校長先生が、
定年退職されたあと、修行にみえていましたが、
扱いは同じです。
どう思いますか?^^
翌日
永平寺にあがると
番号でなく
きちんと名前を呼んでもらえたことに、
私は涙が出そうになった記憶があります。
人間扱いされたとね。
そのあと
「言っていいことば」が2つ与えられます。
「はい」 と 「いいえ」
しかも、大声で言わないと
「きこえね」
で終わり、言い続けることに。
「やる気あんのか?」
「はい!」
「お前、いらねーから帰れ!」
「いいえ!」
お気づきのように
「いいえ」も 意味は、
「はい」なんですよね。
「いいえ」を言わせて、やる気を起こさせ励ましてる。
「死にたい?」ときかれたら
「生きたい」というように
ただし、
「あ、でも~」
「じつを言いますと~」
一言でも、言い訳をしようものなら、
その瞬間に、古参の耳は閉じられ
「ムダな言葉はここでは
しゃべらなくていい。
相手の時間を大切にしなさい。
最初の「あ」もいらない。」
この教育は、徹底されているので
わたしも<言い訳系言語>には鋭敏ですよ。
しばらく弁明もしてないです。
めんどくさくて 笑
めっちゃ、コーチャブルでしょう?
「やるか」か「やらないか」でなく。
「やる」だけ。
つまりは、「イエス」のみなんです。
最初は、意味も分からず決まりが窮屈で仕方なかったけれど、
そう思うのさえ、小さな我だと感じられてくるのです。
自分の都合を叡智の前ですべてそぎおとしたところに
ゆずれない自分のコアがあらわれるのです。
800年連綿と続く生活の知恵の前に
誰もがみな、おそれおののきながらも、時に反発したくなっても、
智恵の母にだかれながら、やっと人にかえっていくんです。
永平寺をおりるとき、
さんざん、叱り続けてきた古参たちは
総出で見送りにきてくれました。
やさしい微笑みを浮かべながらね。
そう、みな
泣きながらシャバに旅立つのです。
そして、
それぞれの地域を道場としていくのです。
だから、今日もここでこうして
出逢ってくれてありがとう!