「忙中有閑」
- 2016年03月24日 |
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今、
楽しんでいますか?
1~10にしたら
どれぐらいでしょ?
「寺澤さん、
いつも楽しそうですね!」
ま、(ブラック含め)
ユーモアは心がけて
いますけど、
楽しさの価値を
育てている感覚で
日々生きているのは事実です。
永平寺時代の1年
年間の笑顔の総計は
1時間もなかったんじゃないかな?
青っちろく過ごすもんだなんて
思い込んでましたから。
(ってか、笑うと叱られるし)
その後も、仕事や学びは
マジメに取り組んで
「ご褒美に笑う」ぐらいに
楽しむ価値が低かったのです。
すると、
周囲に人がいなくなります。
チーン
てか、
シーン。
楽しみたいのに
の
「のに」の心の中味を探ると
「自分ばかりいい思いしていていいんだろうか?」
「ほかの方はこうしている間も仕事しているのに」
「楽しむと軽く思われる」
エトセトラっと
「楽しむ」ことに「おそれ」がね。
つねにつきまとっていのです。
しかも、おそれベースは厳格魂☆永平寺
子どもの頃は無邪気だった。
その心は、今おもえば禅の心に近い無限心
意欲や氣力や好奇心が高く
もてあましてイタズラしてた 笑
自我が育ってくると
恥の心が優位にたち
楽しむ前にカッコつけ始める。
カッコつけ始めるのに疲れてくると
「ジブン」の居場所を再びみつけようとして
求道者のように遍歴するも、楽しさは置き去りに。
それなりに道と出会うと
今度は「ワクワク」マジックにかかる。
そう、
「昂揚からくる楽しい」は
儚いことに
気がつくのです。
もう気がつかれていると思います。
このプロセスは
他者や環境という「状況発の楽しい」に
のしかかっています。
状況発だと
おそれの本体は
まことしやかに
ごまかされるのです。
そしたら
「状態発の楽しい」を
どんな風に育てられるか?
これは
理解とワークで
充分ふくらみます。
おそれをくぐった方の
楽しんでいる姿は
深いやすらぎがつねにいますよね。
だから、
軽くでなく、
軽やか~にみえます。
むしろ、伝わっているのは
根ざすくつろぎなのかもしれません。
真剣に楽しむから
思考で深刻やってる暇がない。
鍵になるのは呼吸法だと
寺澤は思っています。
相応のタイミングで
あなたの魂にとって
大切な仕事になりますね^^
では、楽しむことを
手伝ってくれる受け取り方は
はたして何でしょう?
世界に誇れる
陽明学者の安岡正篤
「忙中有閑」(ぼうちゅうかんあり)
すさまじく過密に過ごすなかの
一瞬の閑(静けさ)こそ真である。
楽しい日々のなかの「楽しい」も
よろしいが、
真の楽しみは、
苦しいを経るなかの一滴の味。
熟成されて
静かにもたらされてくるように
思えてきますね。
今日も好日を♡