随処にあらわれる中庸
- 2016年04月06日 |
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このブログでも
随時受け付けている
「新作オンライン講座」
じっくりながら、
2600名超の方に
受講していただいています。
自分でいうのもアレですが、
昨日もしばらく推敲して言霊を強め
内容を進化させちゃいました!
読んでいると
元気増します!
なかには、
再受講、再々受講の方もいらして
毎日、「スッキリしてまーす 」と
お声が届いてきます
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博多ー大阪ー東京ー仙台ー名古屋と旅している
禅数秘講座
最後の発表の場面は
誰しも緊張しますけれど、
数字と禅の話を8回に渡り、
48時間もきいていただいたあとの
仕上げのアウトプット10分
発表者はいろんな感情が
動いたと思うのですが、
感情が動く時にこそ
学びが生まれます。
禅のイズムに
のっとり、、、、、
知っておわる
ただの修了生では
終わらせません。
生きられる地域社会の
霊的進化の促進という
ひとつの役割を
ともに生きる
そんな同志でいたいと思っています。
学びは実践のためにある
具体者を生きる想い
伝わったなら嬉しい限り^^
抽象的だったり
観念的な印象を伴う
禅の姿から離れ、
ひたすら
具体的であることに
走りました
~具体禅を生きる2016~
禅数秘講座は
博多の1人の声から生まれたものです。
ただひとつ
反省点として、
具体的すぎたかなとも思う面もあり、
時には
敢えて具体から離れた学びを
採り入れて精神を
固まらせぬよう
ゆるめる時間も不可欠です。
中庸という感覚は
随所にあらわれるもので
具体的すぎても
即物的になり、
抽象すぎても、
フワフワしてしまいます。
このバランスを意識すると
私の場合、バランスがよろしいのは、
根拠つける具体が7割~8割
感覚を信頼する抽象法則が1割~2割
今年は9割ぐらい具体だった
かたよりを感じているので ><
そう感じたら
むりくりツジツマを合わせているような@@
抽象とは、時代を超えて
普遍に広がる教えを学ぶこと
それは原理だったり、原則だったり
どんな国でも人でも応用されるシンプルなもの。
だから、広がりゆく
音楽の
メッセージが好例
今年だったら
やっぱり
『アナ雪』さんかな?
あなたを支え、
あなたをひきあげていくのは
どんな教え(法則)でしょう?
マインドやメンタルを
高めたり、深めたり、広げたりしてくれる。
事実は想いの凝縮の結果だけれど
広がるこころの翼をもたぬと
事実もちっちゃくまとまってしまいます。
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