今ここプラス
- 2016年04月10日 |
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おそらくゲシュタルトの祈りが着火したであろう
「Now and Here」
いまここ
いまここ
そのゲシュタルトが今ここを確信したのは
京都の禅寺での直観から
ブッダが今を受け容れていくリアリストで
あったのはよく知られているし、
禅者は
過去も未来もいまここに凝縮させる考え方をベースにもって生活してる。
その生活や日常のなかに
ほのかな違いを味わう姿は実に禅的だ。
で、今、提唱しているのは
いまここセンスは確かに肝要。
でもさ、
ほんのちょっぴり先の未来を意図した上での
今ここと
過去からもたらされる今ここを生きるのは
少し違うよね?
今ココにいるのと現実に埋没するのは
ちょっと違う。
ここにも中庸をみてとることはできます。
認識される現実世界の具象だけでなく
希望にもとづく観念や使命といった抽象思考をも採り入れて
意図された少し先の未来に基づいて
今ココにいる舞台をまるごと包んでみると
具象にも抽象にも
どちらにも偏らないセンスなんが
禅的なのではないかとね?
あなたはどう思う?
このメルマガからの質問への回答
「寺澤さんはどんな抽象を
今月学ばれたんですか?」
今、オススメしたいのは
一昨年に禅講座を受けてくれた
佐藤友美さんの著書
(Amazon1位取られました)
~100頁より~
“問題を克服しようとしても
問題から逃げ出してもすべてが経験であり、
良いも悪いも実のところ存在しません。
あるのは、
自分の決断と行動によって
自分自身に罪悪感や誇りを感じたりする
可能性があるということだけです。
決断や行動に良い悪いという
意味づけや評価をしなければ、
あなたの人生は
経験と、それによる
成長だけが積み重なっていきます”
個人セッションでも
事実(体験)と解釈(憶測)の混同が
みてとれる方には細かく整理していますね^^
(ほぼほぼ解釈で
こんがらがるので
ほどくのだけれど。。)
意味付けは受け取りかたを
育ててくれるから、
魂の養いにはなります。
かといって無理に
意味をつけなくてもいい。
事実を経験したことを
深~い意識から信頼すると
そこに○も×もなく、
自ずと成長を促してくれるから。
もともと善も悪もないんだよという
禅の考え方と
リンクしてますね~
と話したら
「わたし、母の実家が禅寺なんです」
一読してみてね!
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