「ひとり」は魔境の入口に
- 2014年01月18日 |
- バックナンバー |
【バックナンバー2013.1.24】
クラスの生徒さんと共同で創作している
劇場型ワークショップ「つきぬけ美人ZEN」のワンシーン
家に帰る場面が訪れます。
ただ帰るだけではありませんが^^
旅行作家 小林正観さんの講演を
ご存命中にきいた時、
「私が帰宅するのは年に10泊ぐらいです。
あとはほとんど旅に出ています」
このクラスの方は別として、
誰しも毎日帰る家があろうかと思います。
かつて諸事情でテンテンとしていたかもしれないけれど、
今はおありかと思います。
禅の伝統では、生きながらにして、
「まことの家に帰る」旅と、
【旅そのもの】を生の目的にしています。
身体が帰るハウスともうひとつ。
こころが帰るホームです。
(英語違ってたらご指摘ください)
素直に日本語にすると、
“こころのふるさと“です^^
インド、中国、韓国、日本の禅の流れのなかで、
かつて、道を求める者たちは、
こころのふるさとに帰りたく、
生まれ育った家さえも出て、家族と別離し、
まずは我が想うマスターの家を目指しました。
マスターに出会えるかどうかが決め手になります。
違ってたら、また振り出しで遍歴を続けます。
師なき禅なし。
かならず師事します。
マスターの元で励み、
真のこころのふるさとに帰着し、
己の真実と出会っていたのです。
裏返せば、独りで悟った気になってる人は
独悟という魔境に住む者として、エゴの象徴ぐらいの扱いです。
そう、
悟りはひとりでは訪れず
人と悟るものです!
その道は、国内に見つからない場合もあり、
海外に出てゆく方もいました。
私の師匠もそのひとりです。
なかには、志なかばにして、
生きているうちに帰りきることがかなわった方もいました。
いえ、多くの方が帰りきれないでいます。
帰れることを確信したものは、人さまが帰る手伝いに励みます。
自分はいつでも帰るから、敢えて帰らないでいるのです
この道が菩薩の道(他者幸福に生きる利他行を自らの幸せとします)
美しい
そこには、滅私も自己犠牲もなく、気持ち穏やかに
帰す意味に歓びを感じ、幸福を分かち合っています。
■帰家穏坐(きかおんざ)
こころの奥秘が帰りたがる家に帰り、
ただ穏やかに坐っています。
わが師、道元がこころに帰った瞬間のことばです。
「これこそは真の家郷である、仏の御坐である」
あなたにとって、
もっとも幸福に包まれるこころの住まい。
自己の家にひたりきる幸福を
味わわれることをいつも祈っています。
「出家しましょっ」って意味でなく。
(稀にしたいという方もいらっしゃいますけれど^^ ^^)
瞑想や写経は帰り道のあたかも案内人です
お住まいの場所は意味でとらえてみてくださいね!
アタマもお腹も、もっとしっくりとくる位置です^^
パワースポットはあなたなんです!
その場所ではきっと周囲の多くの方が、
笑顔でいるから。
亡くなってから、帰るのでなく、
想うこころのふるさとに、ともに帰るお手伝いを
これからもさせていただきたいと思っています。
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